登大遊氏の「鉄球と磁石」。脳内に常に置いておくように心がけると、脳を常にモニターする必要がなくなる感じ。

鉄球と磁石がなかったときは
何をする、何を考えるでも、
このやり方でよいか?
この考え方でよいか?
と、脳の働きを常にモニターしながらというような、
不安感というようなものがあった気がする。


一方、
鉄球と磁石を置き、
鉄球を真ん中につり合わせるイメージを持つと、
何と言うか、
絶対に脳は正しく働くというような
確信、安心感を持てるような気がして、
常にモニターする必要はないという確信が
得られるような気がしている。


なぜ、そういった確信のようなものが得られるのか、
それはわからないが、
理由はまあいらないだろう。