集合知は個々の知があればこそ。

考えがまとまっているわけではないが
集合知」と言うと
全体の大きな、まとまった結果の知であるかのようだが
そうとらえてはまちがう気がする。


集合知の「結論」を誤りなくとらえるためには
集合知を構成する個々の知を
しっかりと見つめておかなければならないような気がするのである。


自分が何を言おうとしているのか。
よくわからない。
しかし、いま、ここに言っておかなければならないという気がする。


集合知」は結論を与えてくれるかもしれない。
しかし、その結論を自分がどのように使うのか。
その結論は、自分にとってどのような意味を成すのか。
それは、集合知を構成する個々の知を見なければ
知ることはできないのではあるまいか。


そのような意味において
個々の知にしっかりと目を向ける必要があるのではないか。


梅田氏が書いておられる。
村上春樹氏は、自らが目にし得る批評にはすべてに目を通す」と。
梅田氏自身もまた、
自らの著書に関する多くの記述に目を通すと。


集合知
正しい結論を生み出すブラックボックスではない
ことだけは確かのようである。